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SALMON MUSEUM サーモンミュージアム

サケの养殖事业
日魯渔业(株)(現マルハニチロホールディングス)のサケマス養殖事業への取り組み(2)チリ国編
日本の技術を移入することで、南米チリのサケマス養殖は開始され発展しました。

日本からチリ国までの発眼卵输送ルート(1974年顷)とチリ国の拡大図
 

2006年の世界におけるサケマス养殖生产量は126万トンと报告されています。この内39.7%に当たる64.2万トンがノルウェーで生产され、38.2%に当たる61.8万トンが南米チリで生产されています。
1990年の世界のサケマス海面养殖生产量は35.1万トン。ノルウェーがその半分の16.1万トンで、チリは仅かに1.8万トンと日本(2.3万トン)より生产量は少なかったのです。

南半球にサケ资源を作る试みは19世纪后半に米国が、南半球各国に大规模な移植を试み、ニュージーランドにマスノスケを定着させる事に成功しましたが、南米では成功しませんでした。米国は1968年にもチリにアメリカ式のふ化场を建设しマスノスケ、ギンザケの移植を再度试みましたが成功しませんでした。その后1977年より米国民间公司によるマスノスケ、ギンザケのふ化放流事业が行われ、両鱼种合わせて5百尾以上の回帰を见たと报告されています。

1974年、チリで日本産シロサケのふ化放流を開始しました。

1969年大日本水产会は南半球への日本产サケ移植の可能性调査のために、第1回サケマス调査団をチリに派遣しました。2度に亘る现地调査の后、わが国は南米チリにおけるサケマス资源造成の技术协力を行う事を决定し、1972年にはサクラマスの移植実験を开始し、1974年には日本产シロサケ発眼卵をチリに送り、チリにおけるシロサケふ化放流事业を开始しました。

チリ政府と日本政府间でサケマス资源造成に関する协定が结ばれ、チリ政府はふ化场建设、労働力の提供を行なう、日本政府は种卵を含む一切の物品と技术(専门家の派遣)を供与するとの内容でした。技术协力は主に水产庁北海道さけ?ますふ化场と関连する国の研究机関が行ないました。

チリ政府によるふ化场は1976年(昭和51年)アイセン州の州都コジャイケ(南纬45度)に完成しました(コジャイケ白石ふ化场)。その后1986年まで日本政府は繰り返し长期専门家、短期専门家を派遣し、シロサケ、サクラマスの発眼卵をチリに送り、ふ化放流を繰返し、日本产サケの资源造成を试みました。


コジャイケ白石ふ化场の周囲风景


コジャイケ白石ふ化场の全景

ふ化放流はコジャイケ白石ふ化场を中心におこなわれましたが、后半には河口域での网イケスを利用した海中饲育放流を行いました。

この间、日本侧はチリ侧の事业主体となるチリ政府职员を日本に招き、ふ化场等のサケマス増殖?养殖施设で研修させ技术を习得させました。日本で学んだ研修生及び関係者は20人にもなりました。わが国は18年に亘り日本产サケの资源造成技术协力を行い1986年に终了しました。放流回帰の実绩はシロサケにおいては1985年に放流地点より700km离れたチリ最南端で成鱼が7尾渔获されたに留まり、南半球にサケマスの一大海洋资源を造成するという远大な计画は达成されませんでした。しかし一方、湖に注ぐ河川にて放流されたサクラマスは、放流地点に1%の回帰が见られ、その后、湖に资源が定着した事が确认されました。

一方、日魯渔业(株)(現マルハニチロホールディングス)は日本での技術をいかし、ギンザケ養殖事業に進出。年々生産量を拡大しました。

プエルトモントのニチロチリ社


プエルトモント湾におけるギンザケ养殖场

1978年(昭和53年)、日魯渔业(株)(現マルハニチロホールディングス)はチリ共和国に「ニチロチリ社」を設立し、チリ政府の協力を得てギンザケ養殖事業に進出しました。

1978年前半に渔船による沿岸调査を行い养殖适地の选定を行い、养殖地をプエルト?モント(南纬41度)に决定し、养殖事业を开始しました。同年12月には米国よりギンザケ発眼卵をチリに搬入し、淡水饲育を开始し、翌年にはプエルト?モント湾内に设置した网イケスに幼鱼を移送し、海水养殖を开始しました。养殖は顺调に行なわれ、1981年チリで初めて、海面养殖によるギンザケ130トンが水扬されました。

第1回目の水揚時には現地の加工設備が整っておらず、ギンザケイケスより日魯渔业(株)(現マルハニチロホールディングス)所属のトロール船に直接水揚げし、船内で栽割後凍結され日本に搬入されました。その後同社は淡水養殖場を建設し、種苗生産を自ら行い、年々養殖量を拡大し、ギンザケ生産量1,000トン規模としました。

米国公司による放流事业の成果、ニチロ(现マルハニチロホールディングス)のギンザケの海面养殖の経过を注视していたチリ国の「チリ财団」は、ニチロ(现マルハニチロホールディングス)の海面养殖の成功(チリ共和国で初めてのサケマス海面养殖の成功)を知り、早々に养殖公司化试験を开始しました。
1985年以降はチリ公司、サケ养殖では実绩のあるノルウェー等の外国公司もチリにおけるサケ养殖事业に参入し、养殖地もチリ南方に広がり、鱼种もギンザケの他にアトランティックサーモン、トラウト(ニジマス)、マスノスケと复数のサケマスが养殖され今日にいたっています。
ニチロチリ社のプエルト?モントにおけるギンザケ养殖は、初水扬より16年経った1996年には、都市化により海洋汚染が进み养殖海域にもその影响が见られた事より、同年1,000トン近いギンザケを水扬し、同海域でのギンザケ养殖事业を终了しました。


ギンザケ养殖场イケス

日魯渔业所属のトロール船へギンザケの水揚げ


イケスにてギンザケの状态を観察するスタッフ


イケスにて顺调に育つギンザケ

チリがサケマス养殖で成功を収めたのは养殖适地が豊富にある事や、海况?気象等の自然条件がサケマス养殖に适していることや、饲料の原料である鱼粉や鱼油が大量に、容易に入手できる利点がありました。

一方技术面では、チリで始めてサケマスの海面养殖に挑戦し成功させたニチロ(现マルハニチロホールディングス)の养殖技术の実践(*1)、チリへの日本产サケ移植への技术协力を长期に行なった日本政府関係机関、専门家(技术者)による技术移転が、チリの养殖の発展の根底にあります。
また、1985年顷より事业に参入したノルウェー他の外国公司の进出は、ギンザケ以外の鱼种の导入、饲料の开発や鱼病対策、养殖施设?机器の导入面で今日のチリのサケマス养殖の発展に寄与しました。

(*1)1999年の酒井光夫氏(当時アルゼンチン水産資源評価管理計画)の報告書「チリにおけるサケ移植と養殖計画、およびIFOP白石博士ふ化場の活動概況」には『1980年代の初めには、チリにおいても企業生産を目指す会社が出現した。ギンザケ養殖のパイオニア的存在であるニチロチリ(日魯渔业)およびMytilus社であった。チリにおけるサケ養殖の歴史はこの時点で始まったと言えるだろう。』とチリサケマス養殖の開始の記述があります。

1989年(平成元年)チリ政府は、日魯渔业(株)(現マルハニチロホールディングス)がギンザケの養殖を通じチリの経済、産業の開発に貢献した事に感謝し、日魯渔业(株)(当時佐々木醇三社長)にベルナルド?オ?ヒギンズ勲章(*2)を贈りました。

(*2)ベルナルド?オ?ヒギンズ勲章???ベルナルド?オ?ヒギンズは1817~8年にスペイン军を破ったチリの英雄。この勲章は、チリ国に贡献した人物に授与されます。

【参考文献】
「世界のサケ?マス类养殖の现状と问题点」奈良和俊 北海道さけ?ます孵化场
「鱼と卵」(161): 59-68、1992
「北海道のサケ」秋庭鉄之着 北海道开発文库 昭和55年
「全国养鱒振兴协会」ホームページ
「养鱒の现状」 全国养鱒技术协议会编「21世纪の养鱒ビジョン」平成4年
「チリのサケ?マス养殖事情 上?中?下」根本雄二 緑书房「养殖」1993年 3~5月
「内外サケマス养殖の技术?生产?消费动向」远藤纪忠「(社)新鱼种开発协会」讲演资料 1988年
「ニチロの养殖事业」ニチロ社内报“曙光”记事
「AQUA」チリ養殖関係業界誌 「南米のサーモン?ロード」長沢有晃 北海道さけ?ます孵化場 「魚と卵」150~152号
「チリにおけるサケ移植と养殖计画、および滨贵翱笔白石博士ふ化场の活动概况」 酒井光夫着(现アルゼンティン水产资源评価管理计画) 1999年
[Aquaculture in Chile] Salmon Chile, Techno Press S.A. 2004
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