暗网解密

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SALMON MUSEUM サーモンミュージアム

サケの漁の歴史

1.原始?古代のサケ渔
遗跡に见られるサケ渔(秋田県南部、信州北部、网走モヨロ遗跡)

先住民の生活がしのばれる鮭石
○ 秋田県南部の由利地方に子吉川(こよしがわ)が流れています。この中流域にある矢島町には「鮭石(さけいし)」と呼ばれている線刻の石がいくつか発見されています(県重要文化財に指定)。この付近には石器や土器も多く発見されており、およそ2000年前に先住民の手で刻まれ、サケの豊漁を祈ったものと考えられています。

○ 信州北部(現長野県)の長野盆地(善光寺平)は古墳群が多く、千曲川と犀川(さいがわ)が合流し、古代においてわが国有数のサケの産地であり、物質的基盤はサケの漁労(ぎょろう)であったと考えられます。

○ 北海道?網走市内のモヨロ遺跡を作ったのは先住民のオホーツク人だといわれていますが、数多くの動物性遺物の中には、シロサケやサクラマスの遺骨も発見されています。
モヨロ遗跡:
2.奈良时代のサケ渔
风土记(ふどき:国别の地理誌)に见られるサケ渔
○「常陆风土记」(ひたちのくにふどき:现茨城県)には、「河に鮭をとるによりて、改めて助川(すけがわ)と名づく。俗の语に鮭の祖(おや)を谓ひてすけと為す」とあり、当时サケをスケと呼び、サケのとれる川をスケ川といっていたことがわかります。

○「出云风土记」(いづものくにふどき:现鸟取県)には、大川(おおかわ)?神戸川(かんべがわ)などで鮭?麻须(ます)が渔获されていることが记されています。

常陆国风土记
○「肥后风土记」(ひごのくにふどき:现熊本県)には、鱒鱼(ます)に似た鱼が献上されたのを见て、天皇が「にえ(辉いている)の鱼というべし」と宣り给うたと记されています。
3.平安时代のサケ渔
延喜式(えんぎしき:律令时代の法律の実施细则)に见られるサケ渔

延喜式
平安时代の前期、10世纪の初めに朝廷から出版された「延喜式」は、律令时代の法律の细かい実施细则をまとめたものです。その中には诸国から収められた租税の内容が记されています。その租税の中に、サケを贡物として纳める国々が列记してあります。
平安時代初期、大量のサケが貢納されていたいのは、信濃(現長野県)、?越後(現新潟県) 越中(現富山県)の三国でした。
日本海に面する越后?越中両国が当时サケ渔の中心地であったことはともかく、内陆の信州から种々様々なサケ製品が贡进物として纳められていました。
贡ぎ物(みつぎもの)一覧表
鮭楚割(さけすわやり) サケの内臓を取り除いて、干したもの。(アイヌの干鮭と同じ)
氷头(ひず) サケの头を干したもので、今でも酢渍けにする。
背肠(せわた) 背骨についている紫黒の塩辛。(アイヌのメフンと同じ)
鮭子(すじこ) サケの卵を塩渍けにしたもの。
鮭鮨(さけずし) 不明
鮭内子(こごもり) 腹に卵をもっている鮭
并子 不明
京都に近い诸国からは生鮭(なまざけ)が贡纳されているのも注目されます。
若狭(わかさ:现福井県)、丹后(たんご:现京都府)、但马(たじま:现兵库県)、丹波(たんば:现兵库県)、因幡(いなば:现鸟取県)などの诸国から朝廷に贡纳されています。
4.戦国时代のサケ渔
古文书にみられるサケ渔
武田信玄(1521~1573年)は、领有した信州(现长野県)の诸河川のうち、サケがとれる川を「鮭川(さけがわ)」といって、知行地(ちぎょうち)として家臣に与えた古文书が现存しています。
5.江戸时代のサケ渔
本朝式(延喜式)や刊行物にみられるサケ渔
サケ渔はもっぱら河口、河川で行われていました。川に遡上するサケが渔获の対象でした。
サケの渔は、サケが遡上する北海道?东北?北陆地方を中心に、日本海侧では山口県粟野川(あわのがわ)、太平洋侧では千叶県利根川(とねがわ)を南限として行われていました。渔场は河口部、河川、河川上流の产卵场など、サケの习性を利用して行われてきました。
漁法の紹介
1.留網(とめあみ)?簗(やな)

信浓川の支流?鱼野川における下り簗(やな)と上り簗(やな)
留网は「鮭网」といわれ、水戸城下(现水戸市)近くの青柳でよく行われていました。これは上り簗(やな)の一种で、松杭を川瀬に打ち込み、丸竹を横木に渡して、竹簀(たけすのこ)のようにしたものです。この留(とめ)に当ったサケは、簀(すのこ)の下に设けた筌(つづ)の中に入り込むようにしてあります。この留网は、信浓川(现新潟県)の「打切(うちきり)」、千曲川(现长野県)の「留川(とめがわ)」とよく似ており、本州におけるサケ鱼法の中心になっていました。そして、河川の八分の一は鱼道として残し、その上流でもサケ渔ができるようにしていました。
2.地曳き網(じびきあみ)
サケの遡上前に河口で滞留する习性を利用して、地曳き网が広く使用されました。大河川の河口でこの渔法は盛んにつかわれ、信浓川(现新潟県)では大网と呼ばれる地曳き网渔が行われていました。
越中国神通川のマスとりの図「日本山海名产図会」(寛政11年版)
3.流し刺網(ながしさしあみ)
刺し网とは、鱼の头が网目に入り込み、网目から出ようとすると、エラブタあるいは背びれが网に引っかかって逃げられなくなる渔法で、もがくと网にからまります。
4.カマス網
カマス网というのは、イクリ舟と呼ばれる长さ四间(7.2メートル)、肩幅叁尺(90センチ)の舟二艘(にそう)で上流から下流に向って网をひきます。このカマス网は、信浓川、叁面川(みおもてがわ:现新潟県)の居繰网(いぐりあみ)と同じで、那珂川(なかがわ:现茨城県)では昭和32年まで行われていました。
鮭鱼大网の図「利根川図誌」
5.カギとヤス
カギは川の水中に置き、サケの気配を感じると引き、サケをひっかっける渔具。ヤスは突くことでサケを捕る渔具です。サケは非常に注意深く、遡上のときは人影を感じると渊に身を隠してしまいますので、カギとヤスの渔はかなり难しく、熟练のいる渔法です。

持カギ-サケカギ 
鮭ヲヒクカギ『奥民図汇』天明8(1788)年
秋田市教育委员会文化振兴室所蔵
(*上の写真3点は、 平成15年10月7日発行より)
1618年(元和4年) 徳川家康は譜代の酒井忠勝を、信州松代藩主(現長野県)に任じていますが、忠勝は千曲川における「鮭之打切(さけのうちきり)」といって、川をせき止めてサケを捕獲する渔业に対して、10本に対して4本の上納を命じています。4割という上納率は高く、農民に対する搾取がきわめてきびしかったことを示しています。
1640年(寛永17年) 水戸领内(现茨城県)では那珂川(なかがわ)、久慈川(くじがわ)、花贯川(はなぬきがわ)、大北川(おおきたがわ)でサケがとられていましたが、藩はこれらの川岸の村々に対し、サケ网、ヤス、サケ舟などに応じて、「役鮭」として现物のサケを纳めさせていました。
1683年(天和3年) 光圀(水戸黄门)の时代
水戸藩では「御用鮭」を藩に献上した场合、最初の网から29番の网までとれたサケを、「番鮭」「初鮭」といって褒赏金を与えていました。
1番が10両、2番が5両でしたが、この金额をみても、水戸藩がいかに初鮭を重要视していたかがわかります。
1695年(元禄8年) 1695年に刊行された食物博物誌「本朝食鑑(ほんちょうしょくかがみ)」によると
「凡そ东北の大河、之を采(と)る。本朝式(延喜式)、丹波?丹后?若狭?越前?但马?因幡、生鮭を贡す。今、越后?越中?飞騨?出羽?常(常陆)之水戸?秋田最も多し。下総の銚子(现千叶県)?下野州の中川(那珂川の上流)、上野州の利根もまた有り。夏末?秋初(新暦では10月)之を采(と)るものを初鮭(はつざけ)と日う」と记されています。
1618年(元和4年)
本朝食鑑
江戸时代の渔场は本州の日本海岸?銚子(现千叶県)以北の太平洋岸の河川が主要渔场。
虾夷地(北海道)产の干鮭(からざけ)やサケの塩引(しおびき)が江戸をはじめ东日本の各地に出回るようになりました。
1752年(宝暦2年) 松前藩(现北海道)が大泊(コルサコフ)など樺太の3箇所に官设渔场を开设し、季节的出稼ぎとしてサケをとっていました。
1863年(天保7年) 1863年(天保7年)に刊行された食物博物誌「北越雪谱(ほくえつせっぷ)」初编下之巻「鮭を出す所」には、
「これを赏するに事、江戸の初鰹鱼(はつがつお)をさをさおとらず。初鮭は光り银のごとくにして微(すこし)青みあり、肉の色红(べに)をぬりたるが如し。仲冬の顷にいたれば、身に斑(まだら)の錆(さび)いで、肉も红(くれな)ゐ薄し。味もやや劣れり。」
と、あり。江戸では利根川の初鮭が、伊豆冲の初鰹にも比せられるほどに贵重なものでした。
1618年(元和4年)
サケとりの図「北越雪谱」  
江戸时代、塩引鮭は贵重品であり、
特产物として他国へ移出されていました。


水戸藩(现茨城県)では2万尾以上が下野?上野両国?江戸表へ贩売されています。また、水戸藩では献上鮭として、幕府はもとより、京都の朝廷へも献上されており、これは水戸の尊王思想の现われだといわれています。

江戸時代、諸藩から幕府に対して特産品を献上する慣わしがありましたが、陸中国南部藩(りくちゅうのくになんぶはん:現岩手県)?一ノ関藩(いちのせきはん:現岩手県)?陸前国仙台藩(りくぜんのくにせんだいはん:現宮城県)?岩代国会津藩(いわしろのくにあいづはん:現福島県)?磐城国中村藩(いわきのくになかむらはん:現福島県)?泉藩(いずみはん:現福島県)?白川藩(しらかわはん:現福島県)?平藩(たいらはん:現岩手県)?羽前国庄内藩(うぜんのくにしょうないはん:現山形県)?松山藩(現山形県)?新庄藩(しんじょうはん:現山形県)?羽後国久保田藩(うごのくにくぼたはん:現秋田県)?越中国富山藩(現富山県)?加賀国金沢藩(現富山県)?常陸国水戸藩(現茨城県)?若狭国小浜藩(現福井県)?但馬国豊岡藩(たじまのくにとよおかはん:現兵庫県)から 初鮭?塩鮭?子籠鮭(こごもり)?披(干)鮭などが献上されています。

引用文献:「日本のサケ」市川健夫着 狈贬碍ブックス昭和52年8月発行
参考文献:「鮭~秋味を待つ人々~」东北歴史博物馆 平成15年10月7日発行
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