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SALMON MUSEUM サーモンミュージアム

近代~现代のサケ渔
北洋サケマス渔业の展开1/明治~昭和20年(1945)
母船式サケマス渔业(流し網)
左より笠戸丸、信浓丸、神武丸(昭和11年)

海区别渔船出渔回数(上太数字)と一日平均出渔隻数(下细字)调べ


サケマス母船一般図


母船式渔业用サケマス流し網

母船式サケマス渔业は、大正3年試験操業が始まり、大正7年、15年、昭和2年と試験的出漁が行われました。昭和4年から日魯渔业(株)(現マルハニチロホールディングス)によって本格的操業が営まれました。以後出漁者が増加し、昭和8年には企業数10、母船数19隻にも達しました。その中で最も有力な経営は日魯資本を中心とした太平洋渔业(株)でしたが、昭和10年、他の経営を合併して、母船式サケマス渔业をまとめていきました。
母船式サケマス渔业はカムチャッカ半島の沖合いで操業。一船団の編成は、缶詰?塩蔵設備をもつ3000~5000トンの母船、冷蔵施設をもつ1500トンの補助母船、運搬船、給油船を中心に、50~55隻の独航船からなっていました。

操业は5月中旬よりクロノツキー岬付近で始められ、渐次南下して7月中旬にはウタシュッド岛方面に至ります。さらにその一部の船団は西海岸に回航して、8月中旬まで操业しました。船団には调査指导船があって、海洋と鱼群回游の状况を観测し、渔船の出渔方向を指示するなど、その渔法は科学的なものでした。

ベニザケは东カムチャッカが主な渔场であり、ギンザケは西カムチャッカでほとんどが捕获されました。
母船式サケマス流し网仕様
引用文献:「日本のサケ」市川健夫着 狈贬碍ブックス昭和52年8月発行
「日魯渔业経営史 第1巻」編者 岡本信男 昭和46年12月発行
水産講座 渔业編「サケマス渔业」菅野 進著 昭和28年
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