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SALMON MUSEUM サーモンミュージアム

サケの増殖事业
ふ化放流事业、80年后の成功
ふ化放流事業は、80年の試行錯誤の末、ついに1970年(昭和45年)頃から成功に転じました。

千歳ふ化场の全景 提供:北海道开発局
日本のサケマスふ化事业は、1888年(明治21年)伊藤一隆と藤村信吉の信念と情热で、建设した北海道千歳川の「千歳中央孵化场」オープンから始まりました。
その后、80年という长い苦难と紆余曲折、さまざまな失败や试行错误を経て、1970年(昭和45年)顷ついに成功に転じました。

北海道のサケの増殖事业は、戦後の1950年代に国の体制が強化され、増大計画によって推進が図られてきました。それにもかかわらず、実効が上がらなかったのは、基本的には技術の未成熟に加え、密漁のために種卵の確保が難しかったことでした。

国の施策強化の背景には、沿岸渔业の振興とともに伝統的な北洋渔业の安定持続がありました。これらを背景にサケの研究が着々と進み、1960年を過ぎると、増殖事業の最前線ではこれまでの研究をもとに技術革新への模索と挑戦が始まりました。

伝统的なふ化室(上)と技术开発で生まれた现在の
ふ化室(千歳ふ化场)(「鼻まがりサケ谈义」木村义一着より)

やがて200カイリ時代の到来といわれる時代になって、1970年からその努力が功を奏しサケは増えだしたのです。
北海道のサケ来游数の推移
长い间低迷していた200~500万尾の资源は、1975年には1000万尾を超え、1981年には2000万尾を、1985年には3000万尾を、1990年には4000万尾を、1994年には5000万尾を超えたのです。

现在のふ化室(水产総合研究センターさけますセンター千歳事业所)
提供:水产総合研究センター

放流稚鱼に対する帰った亲鱼(捕获された亲鱼)の数量の比で表す「回帰率」は以前の1%あるかないかくらいから2%、3%と向上し、现在では4~7%(标津地方では10%)にもなっています。

このように、サケが増えたのは、放流稚鱼数の量を増やしたためだけではなく、帰ってくる率を高めたことにあります。

革新的な技術といえば、『給餌放流』(きゅうじほうりゅう:稚魚にエサを与え、5~6センチくらいまでに大きくして放流する)と『適期放流』(てっきほうりゅう:沿岸に豊富な餌のある時期に放流する)でした。

そして、后は地道な调査や研究で新しく得た知识によって、(1)良い卵を採り、(2)良いふ化をさせ、(3)健康で大きい稚鱼を育て、(4)川や海での生息条件が最も良い时に放すこと、を実践したのでした。

具体的には、採卵するまで亲鱼は生まれたふ化场の用水(涌き水)に収容する。近寄らない。惊かさない。卵の管理は水を十分调整する。稚鱼池の砂利を丁寧に敷く。十分に流れの调整をして暗くする。そこでは稚鱼を騒がせない。食べ方を见て饵をやる。消毒に心がける。常に稚鱼を観察する。病気は事前に対処する。川や沿岸の条件を把握する。といったところでした。
ふ化事业の试行错误も、终わってみれば当り前のことなのですが、「野生であるサケ」を育て自然へ放してやる「ふ化技术」は、自然の仕组みを学び、発见することだったのです。


サケの给饵风景。饲育放流は技术革新の切り札となった
(「鼻まがりサケ谈义」木村义一着より)



河川に放流された稚鱼
【引用?参考文献】
「鼻まがりサケ谈义」木村义一着 北日本海洋センター 1994年発行
「北海道のサケ」秋庭鉄之着 北海道开発问题研究调査会 昭和55年5月15日発行
「サケ―つくる渔业への挑戦」佐藤重勝著 岩波新書 1986年12月19日発行
「北海道のサケ钓り」 北海道新闻社编 1996年9月13日発行
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