筑豊炭田を流れる远贺川は、炭鉱が全盛期だった昭和初期には川の汚染が进み鮭は见られなくなりました。洗炭排水で黒く浊り「善哉川(ぜんざいがわ)」と呼ばれるほどでした。しかし、エネルギー革命により炭鉱は闭锁されます。そして川の水质浄化の取り组みが进んだ昭和53年、远贺川の下流で一匹の鮭が捕获されました。それまでは、この川に鮭が遡上するなんて作り话だと若い人たちは信じていませんでした。现在、国道沿いの立派な鸟居はその时、氏子の方たちが记念に建てたものであり、その惊きと感动がうかがい知れます。
现在、远贺川では、地域の方々や行政の取り组みがすすみ、水质浄化のみならず、鱼道の整备や鮭が产卵できるような河川の整备が続けられています。そして18年前から毎年、鮭の放流が続けられています。鮭の受精卵は新潟県村上市の叁面川(みおもてがわ)から譲り受けられ、约4万匹の鮭が远贺川から北の海を目指します。今では毎年秋になると远贺川河口に鮭が戻ってくるようになりました。2005年の献鮭祭には85センチの鮭が奉纳されたそうです。
放流した鮭が遥か北のベーリング海ですくすくと成长し、本能をたよりに再び元気に远贺川に元気に戻って欲しいと心から思います。それは、豊玉姫が山幸彦と息子に宛てて北の海から赠った「川は今も美しく澄んでいますか?」という便りなのかもしれません。今回、鮭神社を访ねてみて、命の不思议とともにサケの生命力の强さ、したたかさを改めて感じることができました。
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