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SALMON MUSEUM サーモンミュージアム

馆长のサーモンレポート1 鮭神社を訪ねて

サーモンミュージアムの馆长です。
2006年2月に私は九州の「鮭神社」にお参りに行きました。日本には东北や北陆地方を中心にたくさんのサケを祭った神社がありますが、「鮭神社」という名の神社はなぜか、九州のこの神社だけです。なぜ、暖かい九州に鮭の神社があるのか?その理由も调べてみました。

まないた石
鮭はその昔、九州にも遡上していた!?
 现在、日本のシロサケの生息南限は日本海侧は新潟県あたり、太平洋侧は千叶県銚子あたりと言われています。しかし、縄文时代は现在より二度程年平均気温が低かったことから、南限は今より南であったと言われています。地球は氷河期を繰り返しています。その间に小氷河期があり、天明や天保の飢饉が続発した幕末はこの小氷河期でした。このような低温の时代には、北九州の河川にも大量に鮭がのぼっていたと考えられます。
ご神体は鮭。祭神は山幸彦、豊玉姫とその息子
 鮭神社は筑豊平野を润し北九州の响滩(ひびきなだ)に流れ込む远贺川(おんががわ)の源流に程近い场所にあります。福冈県嘉穂郡嘉穂町の国道を少し入った场所にあるこの神社は、1200年前に建てられたといわれ、その名のとおりご神体は「鮭」。现在まで氏子たちに大切に守られてきました。

 鮭神社に祭られている祭神は神话「海幸彦山幸彦」で有名な山幸彦と海の神の豊玉姫、その息子の3人です。正确な名前は、山幸彦が「彦火火出见尊(ヒコホホデミノミコト)」、豊玉姫が「豊玉姫尊(トヨタマヒメノミコト)」、息子の名前は「ウガヤ葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)」。

山幸彦が约束を守らなかったため海に帰ってしまった豊玉姫が、残してきた2人が恋しく、「つつがなきや(お元気ですか?)」の便りを年に1度、鮭に託したと语り継がれています。
本殿
拝殿奉納品
魚拓
鯉塚
「献鮭祭(けんけいさい)」
 远い昔、収穫の秋にわずかながら远贺川を上って来た鮭は、嘉穂町の田畑に豊かな実りをもたらす神の使者として大切にされてきました。远贺川河口の芦屋から鮭神社のある嘉穂町大隈まで约50km、そこには100以上の堰(せき)がありこれを乗り越えてくる鮭があれば来年も豊作であると喜びました。これを途中で捕らえると灾いに合うとされ、现在も神の使いである鮭を食べない风习が残っているのです。

 毎年12月13日、鮭神社では献鮭祭(けんけいさい)が行われ、五穀豊穣を祈ります。太阴暦が用いられた江戸时代には霜月(11月)13日に行われていましたが、现在は月遅れの12月13日に営まれます。远贺川の鮭は、川沿いの「まないた石」なる石の上で清められた后、鮭神社に捧げられ、境内の鮭塚に奉纳されました。鮭が遡上しない年は、大根の縦割りにとうがらしの轮切りの目をほどこし、鮭に见立てて供えていました。
今年も鮭を放流。ふるさとへの愛情を深め美しい川を守るために。
 筑豊炭田を流れる远贺川は、炭鉱が全盛期だった昭和初期には川の汚染が进み鮭は见られなくなりました。洗炭排水で黒く浊り「善哉川(ぜんざいがわ)」と呼ばれるほどでした。しかし、エネルギー革命により炭鉱は闭锁されます。そして川の水质浄化の取り组みが进んだ昭和53年、远贺川の下流で一匹の鮭が捕获されました。それまでは、この川に鮭が遡上するなんて作り话だと若い人たちは信じていませんでした。现在、国道沿いの立派な鸟居はその时、氏子の方たちが记念に建てたものであり、その惊きと感动がうかがい知れます。

 现在、远贺川では、地域の方々や行政の取り组みがすすみ、水质浄化のみならず、鱼道の整备や鮭が产卵できるような河川の整备が続けられています。そして18年前から毎年、鮭の放流が続けられています。鮭の受精卵は新潟県村上市の叁面川(みおもてがわ)から譲り受けられ、约4万匹の鮭が远贺川から北の海を目指します。今では毎年秋になると远贺川河口に鮭が戻ってくるようになりました。2005年の献鮭祭には85センチの鮭が奉纳されたそうです。

 放流した鮭が遥か北のベーリング海ですくすくと成长し、本能をたよりに再び元気に远贺川に元気に戻って欲しいと心から思います。それは、豊玉姫が山幸彦と息子に宛てて北の海から赠った「川は今も美しく澄んでいますか?」という便りなのかもしれません。今回、鮭神社を访ねてみて、命の不思议とともにサケの生命力の强さ、したたかさを改めて感じることができました。

遠賀川
鮭神社境内にある夫婦楠
鮭神社 
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※嘉穂町は平成18年3月27日より「嘉麻市(かまし)」となりました。
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