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SALMON MUSEUM サーモンミュージアム

サケの养殖事业
日魯渔业(株)(現マルハニチロホールディングス)のサケマス養殖事業への取り組み (1)国内編
北洋サケマス渔业は1952年(昭和27年)に再開され、昭和30年代前半までは規模、漁獲量とも増大傾向にありました。しかしながら昭和30年代の後半になり、北洋サケマス渔业は米国?ソ連による操業区域?漁期の規制を受け、漁獲割当量が漸減傾向にあり、北洋サケマス渔业の将来が危惧されていました。このような背景の中、同社は昭和40年代後半に入り、将来の事業展開の選択肢の一つとしてサケマス養殖事業への進出を計画し、直ちにフィジビリティスタディー(事業化企画調査)を開始しました。
日魯渔业(現マルハニチロホールディングス)は日本で初めて
淡水产(陆封)ギンザケより人工採卵を行い受精卵を得ることに成功



ギンザケの仔鱼
昭和50年、日本で初めて淡水产(陆封)ギンザケより人工採卵を行い受精卵を得ることに成功しました。

宫城県志津川町にて行われたギンザケの养殖风景

1971年(昭和46年)11月には100%出资の日鲁养鱼(株)(现マルハニチロホールディングス)を设立し、北海道十胜にある更别村(さらべつむら)に3,000尘2の池を造成し、直ちにシロサケ、カラフトマス、サクラマス(淡水产はヤマメ)、ベニザケ(淡水产はヒメマス)、ギンザケ、マスノスケ等の太平洋サケの池中养殖(内水面养殖)を开始しました。更に、1973年(昭和48年)には静冈県富士宫市に1,000尘2の试験池を造成し、同年12月北米ワシントン州よりギンザケ発眼卵20万粒を入れ池中养殖を开始しました。

ギンザケは順調に成育し昭和50年秋には一部が成熟し、日本で初めて淡水産(陸封)ギンザケより人工採卵を行い受精卵を得ました。更に1976年(昭和51年)秋には北海道更別、富士宮養魚場で合わせて200万粒の国産発眼卵を得る事に成功しました。日魯渔业(株)(現マルハニチロホールディングス)は両淡水養魚場での飼育結果より成長が早く、耐病性があり生残歩留(ぶどまり)が高く、成魚の市場性が期待できるギンザケに養殖のターゲットをしぼり、次の海面養殖試験に移行しました。

1974年(昭和49年)12月には100gに成長したギンザケ幼魚を富士宮養魚場より神奈川県横須賀市久里浜湾に活魚輸送し、久里浜湾内の網イケスでギンザケ海面養殖試験を開始し、翌年1975年5月まで飼育しギンザケ海面養殖の可能性調査を行いました。1975年秋には富士宮養魚場より宮城県志津川町に幼魚を活魚輸送し、志津川湾内で志津川漁協組合員遠藤昭吾氏と共にギンザケ海面養殖の企業化試験を行いました。企業化試験は順調に行なわれ翌年1976年初夏に2.4トン、1977年初夏には5.3トンの成魚を水揚し、全国の主要な市場に出荷しテスト販売を行ないました。ギンザケ養殖の技術面、市場性の目処がたったことより、企業化試験は1977年で終了。1977年秋より志津川漁協を中心とした宮城県?岩手県の有力渔业協同組合と提携し本格的なギンザケ養殖事業に着手しました。

ギンザケ養殖は当初より渔业協同組合と日魯渔业(株)(現マルハニチロホールディングス)が提携して事業を行ないました。渔业協同組合は区画渔业権の設定された海面を利用し生産業務を行ない、日魯渔业(株)(現マルハニチロホールディングス)は種苗の供給、餌(配合飼料)の供給、技術提供を行い、同社の販売網を通して全国に生産品の販売を行いました。


宫城県志津川町にて行われたギンザケの养殖风景


计量されるギンザケ


生产物となったギンザケ
バイオテクノロジーで研究開発を行う「気仙町サケマス養殖研究所」を設立。

养殖场で元気に成长するギンザケ

日魯渔业(株)(現マルハニチロホールディングス)は1987年(昭和62年)岩手県気仙町にバイオテクノロジーを応用した優良種苗の開発研究を目指す「気仙町サケマス養殖研究所」を設立し、宮城県志津川町では志津川漁協より内湾に試験イケスを借受け、ギンザケの淡水飼育?海水飼育に関わる技術面での研究開発を行い本事業をサポートしました。

淡水饲育(気仙町サケマス养殖研究所)においては饲育密度?成长、鱼病対策、饲料の配合设计、亲鱼养成等の试験研究开発を行い、海水饲育(志津川町试験イケス)においては海水适応能に基づいた海水驯致方法の确立、饲育イケス(网?枠)の形状材质の选定、海水饲育用饲饵料の开発(渔场汚染対策?肉质改良面より配合饲料化の推进)、色上げ(肉色)方法の确立、鱼病対策を行いました。さらに新鱼种対策としてベニザケ、マスノスケの淡水?海水养殖试験を行いました。

ついに、養殖ギンザケの全国販売、養殖キングサーモンの市場出荷に成功。

1976年(昭和51年)僅か2トンで開始された日魯渔业(株)(現マルハニチロホールディングス)のギンザケ販売は、1982年(昭和57年)には取扱数量は1,000トンを越え、1987年(昭和62年)には2,300トンのギンザケを全国に販売しました。1986年(昭和61年)には日本で始めて商業ベース(日魯と佐渡内浦漁協本間新太郎氏共営)で生産されたマスノスケ(キングサーモン)35トンを市場に出荷しました。

ギンザケ养殖は养殖技术面は确立し生产?贩売とも顺调に行なわれてきましたが、平成年代に入り除々に海外养殖サケマスの鲜鱼品の搬入が増え、市场でギンザケと竞合し、ギンザケ価格は値を下げ、加工品(主に冷冻)に向けられる比率も増えてきました。このような状况が続き、好転の见込みが少ないことより、养殖业者?贩売会社とも経営环境が厳しく事业の缩小もしくは撤退を余仪なくされ、1993年(平成5年)(株)ニチロ(现マルハニチロホールディングス)は20年にわたる国内のギンザケ养殖事业から撤退しました。

【引用?参考文献】
「世界のサケ?マス类养殖の现状と问题点」奈良和俊 北海道さけ?ます孵化场
「鱼と卵」(161): 59-68、1992
「北海道のサケ」秋庭鉄之着 北海道开発文库 昭和55年
「全国养鱒振兴协会」ホームページ
「养鱒の现状」 全国养鱒技术协议会编「21世纪の养鱒ビジョン」平成4年
「チリのサケ?マス养殖事情 上?中?下」根本雄二 緑书房「养殖」1993年 3~5月
「内外サケマス养殖の技术?生产?消费动向」远藤纪忠「(社)新鱼种开発协会」讲演资料 1988年
「ニチロの养殖事业」ニチロ社内报“曙光”记事
「础QUA」チリ养殖関係业界誌
「南米のサーモン?ロード」长沢有晃 北海道さけ?ます孵化场 「鱼と卵」150~152号


立派に育ち、出荷された养殖ギンザケ


夸らしげな养殖ギンザケのポスター
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