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SALMON MUSEUM サーモンミュージアム

サケの母川回帰

産卵のために母なる川へと回帰する―サケの魅力を语るうえで、その母川回帰は欠かせないトピックとなっています。では、サケはなぜ母なる川へ戻ることができるのでしょうか? 定説は1つに绞り込めないものの、现在、嗅覚や太阳コンパスなど复数の方法を贤く併用しているという考え方が有力视されています。

母なる河川をにおいで嗅ぎ分け

 サケが母川回帰することは、私たちが想像する以上に古くから知られています(※1)。例えば、スペインとフランスにまたがるピレネー地方の洞窟壁画には、サケの产卵回帰する様子が记されています。また、1653年には、タイセイヨウサケの幼鱼にリボン标识を施すことにより、サケの母川回帰现象が科学的に初めて确认されました。こうした事実は、サケが人类にとっていかになじみ深い鱼であるかの証とも言えるでしょう。

 では、サケはなぜ生まれ故郷の河川に戻ることができるのでしょうか? 惊くべきことに、母川回帰のメカニズムは、现在に至っても定説がありません。しかし、これまで提唱されてきた复数の学説の中には、科学者の间で有力视されているものがあります。その中の1つが嗅覚刷り込み説です。

 嗅覚刷り込み説とは、母川特有のにおいに対する记忆を頼りに母川に回帰する、と考える説で、例えば鼻詰めされたサケが母川に回帰できなくなるなどの実験、観察结果により、多くの研究者から支持を集めています。また、従来の研究から、刷り込みが、きわめて短时间(※2)で、后天的に起こることも明らかになりました。もしあなただったら、自宅の1办尘先の地点から、目隠しされた状态で、嗅覚だけを頼りに自宅に戻ることができるでしょうか? サケは私たちの想像力の及ばない感覚世界の中に生きているのです。また、最近では、嗅覚のほかに洞爷湖でのフィールド実験で视覚も関与していることが証明されています。


鼻詰めされたサケは母川に回帰できなくなる?

複数の方法を賢く使い分けながら母川に回帰

 しかし、いくらサケといえども、母川から远く离れた外洋で、そのにおいを嗅ぎ分けることは不可能です。そもそも母川特有のにおい物质が、母川から远く离れた外洋まで拡散するとは考えられません。サケは、嗅覚以外の方法も併用しながら母川回帰を実现していると考えた方が自然でしょう。


日本の标识


アメリカの标识

 外洋におけるサケの方向定位のメカニズムに関しては、これまで、太阳コンパス説、磁気コンパス説、海流説などが唱えられてきました。太阳コンパスとは体内时计と太阳の位置?高度から自分の现在位置を推定する方法、磁気コンパスは体内にある磁性体と地磁気から方位を决定する方法で、それらを利用して方向定位する生物としては、それぞれミツバチ、ハトがよく知られています。また、外洋の海流を利用して回游方向を决定する方法は、ウミガメ类や他の大型海洋生物で利用されています。その意味では、いずれの説も「実绩がある」と言えるのですが、サケに限れば「决定打」に欠け、1つの説に绞り込めないのが実情です。実际には、太阳コンパスや磁気コンパス、时に海流も活用しながら、外洋から母川近くまで回帰しているのかもしれません。

 嗅覚だけに頼った母川回帰が不可能な以上、サケが复数の方法を併用していることは明らかです。状况に応じて复数の方法を使い分けながら母川に回帰する―サケは、こうした贤い戦略により、この地球上で生き抜いてきたのです。


(※1)サケ科の中で、母川回帰する倾向が高いのはサケ属の仲间です。ただし、サケ属の鱼であっても、例えばカラフトマスのように、母川回帰性が低いものもあります。
(※2)2日以内あるいは数时间以内との説もあり、具体的な期间はまだ明确ではありません。

参考文献
[1]帰山 雅秀、最新のサケ学、成山堂書店、2002年
[2]井田 齊、奥山 文弥、サケ?マス魚類のわかる本、山と渓谷社、2002年

サケの回帰を「座標説」と考える元千歳サケのふるさと館館長?木村義一氏のお話

サケの増殖事業では、別の川へ移植することがよくある。卵で移植したり、稚魚で運んで川で直接放したりする。 さて、このサケが親になって帰るのは「生まれた川か、放した川か」。

サケは水のにおいを忆えて帰ってくることは、いろいろな実験でも里付けられ、现在「においすり込み説」として定説になっている。しかし、いつ覚えるのか、どのくらいの长さの时间で覚えるのかなどとなると、まだよく分かっていない。学者の説もいろいろあって、鸟と同じように生まれたときであったり、ふ化したときであったり。それぞれに何らかの学问的な根拠で推定しいているのであろうが、どれが本当なのか。それによっては、移植はまったく无駄なことになってしまう。

では、実际に移植した结果はどうであろうか。私の経験では、间违いなく放した川に帰ってくると思われる。それは、帰ってきた时期や、鱼体の大きさや形が在来とは异なり、しばしは生まれた川の特徴を持っていることが「放した川へ帰る」ことを証明していると考えるからである。
このような例は、卵で移植しても、あるいは、ほとんどすぐに海へ出るような河口部で放しても、河口から出た湾で両方の水が混ざり合うような隣の川に放した场合でも见られる。
とすると、サケは「河口のにおい」を、ほとんど「瞬间的」に忆えるのだろうか。
もしそうなら、千歳川に放した稚鱼は、石狩川の河口で千歳川以外のにおいも覚えるのだから、帰ってきたとき、石狩川のどの支流にも上がっていいはずなのだが、実际は千歳川だけしか上がらない。
これをどう説明したらよいのか。

やはり、生まれた川のにおいを忆えているのか。それなら放した川に帰るのはなぜか。
まして、千歳川から余市川へ移植したサケが、千歳川のにおいが充満している石狩湾を横切って、余市川に帰るのをどう理解したらよいものだろうか?
私は「座标説」を考えてみる。その场所を座标として知る能力があり、移动の轨跡を刻々と脳里にすりこむ。回帰はその奇跡を逆にたどるのだとすると、放した川へもどるのは当然である。しかも、まだ谜の沿岸までの回帰も、沿岸から母川にたどりつくメカニズムも、同じ理屈で説明がつく。実は、においは补助机能なのかも知れない。もっとも、これを証明する実験がない现状では、「座标説」は都合のいい「幻の説」に过ぎないが、とにかく、サケは「においで帰ってくる」だけでは説明し难い、谜の生态を持った鱼である。
それにしても「生みの亲より育ての亲」、母川のにおいにも振り向かず放した川へ帰ってくるとは、つくづく义理固い鱼だと思う。
だけど、サケは、本当に生みの亲を忘れてしまったのだろうか?

引用文献
木村义一着「鼻まがりサケ谈义」北日本海洋センター 1994年発行