暗网解密

SALMON MUSEUM サーモンミュージアム

荒俣宏の「超博物誌」第五回

サケの王様は神なのだった

今回は、最终回なので、やっぱり妖怪ばなしを书きたい。サケにまつわる奇谈をお届けしよう。

おおむね世界のどこへ行っても、サケは淡水鱼の王様、ということになっている。海にもいるのに、川の鱼と思われているのは、この鱼が产卵のために川へ戻ってくるせいだ。それに、大きなサケは群れをなして来るので良く目立ち、あたかも一尾の巨大な鱼のように见えたのだろう。だから、川の王と呼ばれ崇拝された。

もちろん、単体でも巨大なサケはいる。2メートルを越すという巨大なイトウ、山形県の大鸟池にいるという幻の巨大サケ「タキタロウ」、これらは実在している。タキタロウはまだよく正体が分かっていないが、大鸟池で正体不明のサケ科巨大鱼(70センチ以上)が捕えられているから、なにか大きなサケがずっと住んでいるのだろう。

さらに、中国奥地には10メートルにもなる真っ赤な巨大サケ「红哲罗鮭」が生息し、水を饮みにきた马を饮み込むという。日本の探検队が何度も调査に行っているが、まだ正体は分からない。中国奥地からモンゴルにかけては、巨大なイトウもいるので、ただの化け物ばなしではないかもしれない。

それにしても、内陆の奥にどうしてこんなに大きなサケが生息できるのだろうか。川にすむ大きなサケは、生态的にいうと「陆封型」である。ふつう、川にいるサケは小型で若いし、色や模様も海のサケとはぜんぜんちがう。これが海に降って巨大な银色のサケになるのだが、ときに、海に降らないでも内陆で大きくなるものがいる。琵琶湖とか大鸟池などのように海の役目を果たせる大きな湖などがあると、サケはそこに住んだとき大海に出たかのように大型になる。そういう巨大なやつだからこそ、川の王と呼ばれたのだろう。


山形県大鸟池で1985年10月に捕获された巨大鱼/大鸟池とタキタロウ伝説


アメマス


イトウ

越后など东北地方の一部に、オウスケという名のサケの王にまつわる伝承がある。このスケという呼び名は大きいサケをあらわす名といわれ、「マスノスケ」などは、文字通り「マスの王様」をさす。新潟県新発田市の伝説によると、オウスケはコスケという眷属(けんぞく)を引き连れて川をさかのぼってくる。目当ては11月15日の水神祭に出て、川役を引き受けるためという。人々は祭りの前夜、オウスケが川をのぼりやすいように、风吕も立てず水车も休ませる。
12月20日のえびす讲の日にも、渔师はオウスケ、コスケが川をさかのぼれるようにと、网を川から上げたそうだ。上げられない场合は网を切ったというから、すごい。もしも网にかかったサケを食べれば、何代にもわたって祟られる。サケを杀した年の彼岸の中日には、「オウスケ、コスケ、いまのぼる」とサケが叫びながら川をのぼるといわれる。もしも、その声を闻いたりすれば、その人は死ぬと信じられた。怖い话だが、実际に祟りをおそれてサケを食べないところもあったそうだ。

マスノスケは人間に変身する。

巨大なサケだから、不思议な力もある。北海道に住んだアイヌの人々は、大きくなるマスノスケを「カムイ?チェブ?パセクル(神鱼の王)」と呼び、畏れうやまった。なにしろ、ときどき人间に変身できるのだから、すごい魔力である。ただ、魔力もすご过ぎると逆にマイナスになる。たとえば、アイヌの伝承によると、マスノスケは人间の女性に変身するのが好きという。美しい女の姿になって湿地にあがり、大好物のフキをとって食べる。でも、あまりにも美しい姿になるので、人间の若者に见られたりすると、一目惚れされることになる。そして、恋がからむと、人间のほうも一気に强くなるから不思议なものだ。

昔、支笏に住む若者が狩をしていたとき、川辺で美しい女をみつけた。その辺に生えているフキを食べている。そっと近づいたら、女は危険を察知して川に飛び込んだ。大きなマスノスケに変身し、川下へ逃げていったのだ。でも、若者は美女を逃がすものかと追いかけ、先回りして川にはいり、下帯をはずし脚を開いて川のなかにかがみこんだ。そこへマスノスケが逃げてきた。ところが、目の前に、男の裸のまたがあからさまに立ちふさがったものだから、たまらない。大サケはおもわず凍りついた。何しろ女性に変身したやつですからね。そのまま陸に上がって逃げようとしたら、女の姿に戻ってしまった。「わたしは人間の男の下帯をはずした姿を見てしまった。もう魔力が消えて魚に戻れません。どうかあなたの飯炊きにでもしてくださいまし」と、哀願するはめになった。もちろん、若者は喜んでオーケー。この女を女房にし、たくさんの子供にめぐまれたとさ???? おもしろいのは、この話に「オマケ」があることだ。マスノスケの子供が栄える支笏の村には、よくクマがあらわれるのだそうな。サケを大好物にしているクマは、まちがえて村人を食べようとする、と言い伝えられた。

北海道の人々は、この大地も巨大サケに支えられていると考えた。天地创造のとき、国造りの神がうっかりして、大きなアメマスの背中に大地を造ってしまった。大アメマスはそのあと大地を支え続けなければならない运命を负わされた、今も一生悬命にささえているのだが、たまに疲れて动いてしまう。これが地震の原因なのだという。それで、地震が起きると昔の人たちは炉のすみに小刀を刺し、「腰骨おさえたぞ!」と、アメマスに喝をいれた。内地では、地震をおこすのはナマズの役割だが、さすが北海道はサケの仕事になっている。

サケはつくづく、おもしろい魚である。 (おわり)

アイヌの娘(「アイヌむかしばなし」北海道出版企画センターより)

アイヌの若者(「アイヌむかしばなし」北海道出版企画センターより)


『黒い鱼』日高地方のアイヌ伝説

新冠町タカイサラという丘の上は现在も湿地になっているが、昔はここが沼であってそこに黒い鱼がいて跳ねていたという。それが跳ねるとどうなるのか意味はわからないが、昔地震のときに破裂したところだという。(新冠町泊津 胡桑野多作伝)

『屈斜路湖の中岛とオオアメマス』阿寒地方のアイヌ伝説

屈斜路湖の中島はもと現在の奔渡(ぽんと)のところにあった山であった。ところがこの湖に昔オオアメマスが住んでいて、頭は沼の上手の岩のように水の上にまで現われ、尾は釧路川の出口のあたりにゆれ、脊鰭(せびれ)は湖上に現われて天の日にこげ、腹鰭(はらびれ)は湖の底の石にすれているという大きなもので、湖を渡る舟でもあると 波を起こして舟をくつがえして人をおぼれさせ、退治に行った神々も寄せつけないというおそろしい魚であった。

或るときそれを闻きつけたアイヌの英雄オタシトンクル(歌弃人)が、銛(もり)をもってこれを退治に来て、みごとにオオアメマスの目玉を突いた。しかしオオアメマスはそんなことで容易に参らず、大あばれにあばれ、どうかすると銛(もり)の柄(え)にむすびつけた縄をしっかりにぎっているオタシトンクルが、水の中に引きずり込まれそうになるので、オタシトンクルは必死になって、近くにあった山にその縄を结びつけたが、オオアメマスも必死であばれたためについに山が抜け、湖の中にくずれ込んでしまった。そのためアメマスは山の下になって动けなくなってしまったが、その山が现在の中岛であり、山の抜けた跡に水がたまったのが、奔渡(ぽんと:小さい湖)であるという。

现在でもこの地帯で时々地震が起こるのは、山の下になったアメマスがまだ死にきれずにあばれるから起こるのだろうという。(弟子屈町屈斜路 弟子カムイマ老伝)

●资料文献
「サケとわかもの」アイヌむかしばなし 絵?文 铃木トミエ 1983年3月30日発行
北海道出版企画センター(札幌市)   絵「りりしい若者とサケ」
「鹿とサケと水の神さま」アイヌむかしばなし 絵?文 铃木トミエ 1984年5月15日発行
絵「アイヌの娘」
北海道出版企画センター(札幌市)
「アイヌ伝説集」 更科源蔵编着 昭和36年9月発行 株)北书房(札幌市)より抜粋させていただきました。
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