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SALMON MUSEUM サーモンミュージアム

サケの民话やサケへの信仰。

「さけのおおすけ」水谷章叁?佐川美代太郎着 フレーベル馆発行

东北地方や新潟?北陆地方には、サケに関する民话や言い伝え、サケに対する信仰などがたくさんあります。
远野(とおの)地方(岩手県、北上山地南部)に残る民话を集めた「远野物语」の中には、神隠し(かみかくし)にあった娘がサケになって帰ってきた话やオオワシにさらわれた男がサケの背中に乗せてもらって家に帰ってくる「サケの大助(おおすけ)」の话があります。
この「サケの大助」の话は东北各地に最も広く残されている民话です。山形県最上郡最上町黒沢に伝えられている「簗掛け八右卫门と鮭の大助」(やなかけやえもんとさけのおおすけ)は、その内容が最も充実しています。ご绍介しましょう。

むかし、小国郷(おぐにごう:现最上町)に八右卫门(やえもん)という牛方(うしかた)と渔师を兼业している男があった。五月节句(せっく)は牛马を休ませる日であったから、八右卫门は牛を川に连れていって洗っていたところ、いきなりワシが彼をさらっていった。

海を越えてついたところが佐渡ケ岛(さどがしま)の岩鼻であった。そこで八右卫门はワシの亲子を腰の山刀(やまがたな)で切り杀してしまった。さて仇(かたき)をとったものの、どうして帰ってよいか困ってしまった。岸辺に泳いでいた鱼が「俺たちの亲方、鮭の大助は毎年10月のエビス讲(えびすこう)の日になると、最上川(もがみがわ)へのぼっていくから、その时、頼んで乗せてもらったらどうか」と教えてくれた。そこで八右卫门はエビス讲の前日、岸辺に立って鮭の大助に最上川の支流小国川にある小国郷まで乗せていってもらいたいとたのんだ。
鮭の大助は「おまえが簗掛け(やなかけ:サケをとるためのシカケをする人)八右卫门か。いつも俺たちの鱼を簗(やな:捕获のシカケ)にかけてとる憎い奴」と怒るのであった。

「これから以后、鮭とりはいっさいしませんから、どうか助けてくれ」と八右卫门はあやまって、大助の背に乗せてもらった。
佐渡ケ岛を朝たって、それから酒田港(さかたみなと)に行き、そこから最上川をさかのぼると、ちょうどエビス讲の夜になっていた。八右卫门は「鮭の大助、今のぼる」と大声で叫びながら、ようやく小国郷に帰りつくことができたという。

サケの大助(おおすけ)というのは、サケの王様という意味です。
サケの王様が帰ってくる日、村人たちは、川にしかけたサケドメ(鮭留:サケをとるシカケ)を开いて、サケを上流にのぼれるようにしてやり、サケが根こそぎ捕获されることを防ぎました。结果的にこのことは、サケ资源を再生し、毎年豊かなサケの到来を村々にもたらすことになったのです。

「サケのおおすけ」の民话は、サケの王様が产卵のために帰ってくる日には、渔を休み、これを破るものは、不幸になるという「いましめ」になっています。

サケ漁の「言い伝え」いろいろ

山形県:最上小国川沿岸での言い伝え
小国川(おぐにがわ)の人々は「鮭の大助、今のぼる」の叫び声を闻くと、よくないことが必ず怒るといわれています。そのため、人々はその声を闻かないように、酒盛りをして騒いだり、「耳ふさぎもち」をついたりしました。
また、その夜は、簗(やな)や张り縄(はりなわ)の片方をあけて、サケの遡上(そじょう)を助けてやり、サケ渔はいっさいしないことになっています。

山形県:最上郡真室川町安楽城(あらぎ)の言い伝え
旧暦の10月15日の大日様(だいにちさま)の祭りには、首に注连縄(しめなわ)をつけたサケがのぼってくるので、村人たちは10日ごろから河辺に行かないようにしています。この祭りがすまないうちは、サケをとってはならないと决められています。

山形県:寒河江川(さがえがわ)の言い伝え
旧暦の10月20日の夜、サケの大助が、川鱼の数を数えながら出羽包丁をかざして、地蔵様参りに寒河江川(さがえがわ)をのぼってきます。「鮭の大助、今通る」という叫び声を闻いたり、あるいは姿を见たりすると急死するので、その夜は早く寝るように言われています。またサケ渔はその夜以后にするようにいましめられています。

山形県:最上川下流の庄内平野や新庄盆地において
この地方では旧暦11月15日(现在では12月15日)にはサケ渔を休むことになっています。なぜなら、その日は今まで捕获されたサケの精霊が「鮭の大助、今のぼる」といって川をのぼるからです。その声を闻いたものは3日以内に死んでしまうという。その声を闻かぬようにと耳ふさぎもちを食べ、太鼓をたたいて酒を饮むなどにぎやかに騒いだものだそうです。

くわしくは荒俣宏の「超博物誌」のページへ

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