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SALMON MUSEUM サーモンミュージアム

生活に深くかかわってきたサケ。

サケは単なる食粮としてではなく、人々の生活に深くかかわってきました。アイヌの人たちは、自分たちが食べるだけのサケをとり、そのサケの大部分を贮蔵用の干鮭(からさけ:燻製にしたサケや天日乾燥したサケ)にして、冬の食粮にしましたが、その后、サケの皮で衣装をつくったり、大きなサケの皮では靴を作りました。

サケ皮の衣装

【魚皮衣:Fish-skin garment】()

サケの靴 (ケリkeri)

サケの皮はアイヌが冬にはく靴(ケリ)の材料として重要でした。男性用の长靴、女性用の短靴があり、底部にサケのひれがくるように作られ、すべり止めの役割をはたしています。また、はく时には内部に枯草などを入れて保温性をよくします。

【左:ケリ「标津のサケ」远藤纪忠着より】

いまではサケの靴(ケリ)をもう作れる人はいませんが、では、採卵受精したあとのサケの有効利用として、サケの靴づくりの実习を行っています。(実习で制作する靴は、1尾の皮から简易に作るもので、アイヌの靴とはまったく异なるそうですが???)

【右:】


札幌市豊平川さけ科学馆の実习でつくれられたサケの靴


この実习は、サケ皮から靴をつくる体験を通して、サケの様々な利用法について学んだり、アイヌの人々の生活を考えてみたり、物をつくり出す大変さや楽しさを実感することが狙いです。とにかく皮をはぐのが大変で、职员とボランティアも手伝いますが、力と根気がいります。皮に残った肉をきれいに取り除かないと、できあがった靴が干物臭くなるのですが、このあたりは各自の性格が出るところです。
参加者は親子さんがほとんどですが、ご興味をもたれた年配の方がおひとりで、 またご夫婦で参加されることもあります。

俳句になったサケ


「芭蕉の肖像画」江戸后期、上村白鴎画
図録より


乾鮭(からさけ)は、痩(や)せ细ったものの象徴として、また、空也(くうや)は念仏をとなえ、痩(や)せ细った空也僧のこと。 この一句は、寒中の引き缔まった空気を连想させて実に清洁の印象を与えます。「乾鮭」と「空也」とは、「痩せ」と「寒の中」で连结されている芭蕉の代表的な俳句です。(元禄3年12月、48歳。京都での作)

絵や切手になったサケ

北斎は、読本(よみほん)、挿絵(さしえ)、絵手本(えでほん)をはじめ、「富狱叁十六景」では、浮世絵の世界に风景画という新たな分野を确立しました。晩年は肉笔画を多く描き、长野県小布施(おぶせ)の豪商?高井鸿山の庇护(ひご)のもと、北斎画业の集大成ともいうべき天井絵の大画を描きました。



高桥由一の「鮭」

时代が江戸から明治へ変わる中で、侍(さむらい)であった高桥由一は、油絵の美に魅せられ、油絵を研究し、日本油絵の歴史を新しく开きました。高桥由一作「鮭」は、日本洋画の夜明けを油絵で挑んだ、侍の一枚であり、日本洋画のスタートとなった作品です。

サケの皮の本「鮭鱒聚苑」(けいそんじゅえん)


『鮭鱒聚苑』(けいそんじゅえん)
着者:松下高?高山谦治 昭和17年発行

昭和17年(1942年)に発行されたこの古い本は、サケについてありとあらゆる事柄を调べて记载されている本として、今でもサケの研究者の间ではとても重要な参考书とされています。作者のサケへのこだわりは本の表纸にもあらわれていて、なんと背表纸部分は本物のサケの皮でできています。

缶詰のラベルデザイン


日本で最初につくられた鮭の缶詰のラベル
(根室国西別川産さけ 明治10年頃 (北海道立文書館所蔵))

冷蔵库や冷冻库がなかった时代、缶詰はとても贵重な保存食でした。しかし、中身が见えないので、どんなものが中に入っているかわかりません。

そこで缶詰を作る会社では、缶に贴り付けたラベルでその中身の素材の良さやおいしさを表そうとしました。そのため、古い缶詰のラベルには凝ったデザイン、美しいデザインのものがたくさんあります。

くわしくは「鮭ギャラリー」へ

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