暗网解密

SALMON MUSEUM サーモンミュージアム

第4回:文化人類学者ポアズらが1900年に調査した「サケの民」ナムギースの人びと(2)

ウワキウトウル族

ここにご绍介する内容は、岩崎?グッドマン?まさみ氏(北海学园大学人文学部教授)のご协力を得て、同氏の论文『「サケの民」カナダ北西海岸先住民族――サケの保存?调理?分配』から抜粋させていただいたものです。だたし、本文中の见出しはサーモンミュージアムのほうで加笔させていただきました。
(前回の论文のつづき)
ハントが记録したサケ料理のレシピの具体例を引用しながら、ナムギースの人びとがサケを食べた様子をかいまみたい。 サケが遡上し、人びとがサケを捕获することができる时期には「生のサケ」を「焼く」または「ボイル」して食べた様子が以下のレシピ1に现れている。
 
レシピ1 夫と妻は食べ終わるとサケの骨と皮を集めて海に放す。
ビッグハウス???ウワキウトウル族の建物で、目や鼻、口を描いたビッグハウスは集落の集会场の役割を果たしています。北西海岸先住民の间ではチーフが主催する「ポットラッチ」という仪式が行われます。マスクを付けて伝统的な踊りを踊ったり、鮭などの豪华な食事をふるまったり、最后にはチーフから参加者皆にたくさんの赠り物をすることで良く知られる仪式です。カナダ政府は同化政策の一贯として「ポットラッチ禁止」を行い、アラートベイは唯一、この法律のもとでポットラッチを行ったことから逮捕者が出たことで、知られています。禁止法は1950年代に廃止になり、それ以降、现在もこのビッグハウスでポットラッチが行われています。迫力のある踊りで、本当に豪快な仪式です。
男がサケを捕るとすぐに家に帰る。妻が古いマットを背中に広げシロザケを运ぶバスケットを取り出し、四匹のシロザケを入れて、夫のカヌーに乗りサケを切るために海岸に出かける。そこで古いマットを広げて、鱼用のナイフで鳃から切り落とす。次に首の辺りにナイフを入れるが背骨と头はくっつけたままにする。背中にナイフを入れ尾から指四本分手前まで切る。そこで背骨にサケの身が残る。鱼の腹部にナイフを入れると、次に鱼をひっくり返し、尾から首の部分に向けてナイフを入れる。骨を抜き取ると、サケを焼くためのトングを取り出し、杉(肠别诲别谤)の木片を取り付け、サケの身を乗せる……中略……サケが焼けると、男は温かいうちに友人を招いてサケを食べて良いかを妻にたずねる。妻が许可するとすぐに男は友人を招く。妻は食事用のマットを出し、次にゲストと夫が座るマットを広げる。じきにゲストと夫が着き、妻は食事用のマットを夫とゲストの前に広げ、妻は焼けたサケを取りに行き、皮を下にして食事用のマットに置く。河口付近で取れたシロザケは脂がのっているので、オイル(ユーラコンの油脂)に浸して食べることはしない……河口付近で捕れたシロザケは脂が强いので朝食には食べず、午后か夜に食べる。なぜならば脂の多いサケを朝に食べると一日中眠気におそわれる……ゲストがサケを食べ终わると、次に夫と妻が残りを食べる。その间にゲストは新鲜な水を饮む。水を饮み终わるとゲストは外へ出る……夫と妻は食べ终わるとサケの骨と皮を集めて海に放す。
レシピの记述にはサケの扱いに関する夫と妻の役割分担が随所に见られるが、ハントは前述のレシピ1にサケの捕获が夫の役割であり、妻がそれ以降の処理を行ったことを记録している。レシピ5にはチーフたちを招く宴会で、チーフたちを迎えに行く役割は夫であり、妻は家でチーフたちを待ち、到着の后に料理を始めると书いている。またレシピ6に示されているグリーン?サーモンの宴会の準备では、妻が锅にサケを入れる役割を果たし、一方夫は薪を集めるなど、サケを食べるまでの工程には夫妇间の责任分担があり、ハントはその役割を明确に记録している。
成熟したサケや产卵した后のサケは乾燥保存されたが、それらを食べるために调理する方法は多くあり、概してサケをその乾燥の度合いによって、柔らかくして食べるための调理方法が异なる。ハントは乾燥保存したサケを简単に食べる方法として「干したサケを火であぶって、オイルを付けて食べる」という方法を绍介している。半分程度乾燥したサケにつては「水の入った锅に入れて煮立たせて、长く调理しないで取り出して、オイルを付けて食べる」。また半分乾燥させたグリーン?サーモンは「ボイルして、オイルをかけて食べるが、サケの端を噛んで柔らかくなったらオイルに付けてまた口にいれ、それを繰り返す(レシピ6参照)」など最も美味しく食べるための工夫がある。さらに冬期の食料として长期乾燥保存されたサケは、レシピ2に示される方法で水に浸すという工程を経て调理した。

図1???トンクにはさみサケを焼く
レシピ2 干したサケを火であぶって、オイルを付けて食べる。
フランツ?ボアズとジョージ?ハントの调査「アメリカ民族学局年报第35、クワキウトル民族誌」(全2巻)
产卵后のサケを干したものを食べるのは冬の中顷が多く、妻が家のすみに箱を置き、干したサケを入れて水に浸す。サケがやわらかくなったら、日が昇るとすぐにサケをケトル(办别迟迟濒别)に入れ、水を加えて火にかける。煮立ってきたら、サケを取り出して皿にのせる。冷めたら小さく裂いて、オイルをかける。
骨は水につけた後にボイルして食べる。ひれと尾は水に四日間浸すが、食べるときはオイルに付けない。
サケは各部位ごとに保存方法が异なるが、ハントは同様に调理方法に関しても美味しく食べるためには、异なった方法で调理する方法を绍介している。たとえば「骨は水につけた后にボイルして食べる」、「ひれと尾は水に四日间浸すが、食べるときはオイルに付けない」など、サケの各部位ごとにその特质に合わせて异なった料理调理方法を用いる。ここで特に乾燥したサケのほほ肉の调理に関しては、その调理方法の中に「これはチーフだけの食べ物である」と食べる人を特定していることが特徴的である(详しくはレシピ5参照)。またレシピ3に示されているように、ハントはサケの头の料理には生で柔らかいうちに食べる方法や「ボイル」する等の方法の他に、「蒸す」という调理方法が用いられることを説明している。
レシピ3 サケの頭の料理には生で柔らかいうちに食べる。


ウワキウトウル族の仪礼用仮面


図2???サケを焼く
サケの頭を蒸す料理はまず浜に穴を掘り、火をおこして石を置く。その上にサケの頭を乗せ、その上にざぜんそう(skunk cabbage)を広げて水をかけ、蒸気が逃げないようにその上にマットをかける。
捕りたてサケの卵は、火に炙り白く変色する頃、熱いうちに食べる。
サケの部位ごとの调理方法の中で、最も多くの种类の调理方法が记述されているのがサケの卵の扱いに関する方法である。ここでハントはサケの卵を焼いたり、ボイルしたりして食べる方法や乾燥させたサケの卵を食べる方法などを説明している。捕りたてサケの卵は図2のようにトングに挟み、火に炙り白く変色すると食べ顷であり、热いうちに食べる。

サケの卵は水を加えると白く浊ることからレシピ4に示すように「ミルキーなサケ卵料理」と名づけられた料理もある。
レシピ4 サケの卵のミルキー汁。
ウワキウトウル族のカヌー
サケの卵のミルキー汁を作るには、まずケトルにサケの卵を入れ、水を加えて混ぜるとミルキーになる。それを混ぜながら长时间煮詰めて行くと、ミルキー汁ができる。ミルキー汁は皿に盛り、スプーンで食べる。しかしこの料理は昼か夜に食べること。朝に食べると眠たくなる。
冬にカラカラに乾燥したサケを振舞う相手は若者たちであり、のどにつかえないように十分にオイルに浸し、さらに水も飲むことも重要。
サケの卵料理に関する项目には、特に食べ合わせに関する注意が二カ所に现れている。いずれも乾燥したサケの卵はオイルに浸けるのではなく、シダの根やサーモンベリーの芽と一绪に食べるとする注意であるが、脂の多い食材を食べる际の注意として重要である。このような注意は干したサケを食べる际にはオイルに付けて食べるが、脂の多いサケはオイルには付けないとする注意と同様に、レシピに一贯して现れる注意である。またサケの卵のほかに、サケの内臓の调理方法もあり、内臓は洗った后に茹でることにより、食料として活用されていた。
レシピの记述で、次に情报量が多いのは分配に関する情报であり、この当时の人びとにとって「その料理を谁が食べるか」が重要なことであったことがわかる。その多くは「友人を招いて、宴会(蹿别补蝉迟)を开く」ことを通して、サケを身近な仲间に分配するという方法である。乾燥して古くなったサケは男たちの好物であることから、それらを焼いて食べるときにはその家の夫の友人たちを招く。またグリーン?サーモンを食べる时は前日に箱に入れて水に浸け、次の日に多くの友人と一绪に食べる。さらに乾燥したサケの尾がたくさんある时は、たくさんの客を招いて朝食として振舞う。また冬にカラカラに乾燥したサケを振舞う相手は若者たちであり、のどにつかえないように十分にオイルに浸し、さらに水も饮むことも重要な注意である。またミルキーなサケの卵は客を招いて食べるが、茹でたギンザケの卵は家族と食べるなど、その调理方法によって分配のルールがあった。
レシピ5 サケのほほを使った料理はチーフだけが食べる。
鮭の刺し网渔で使う刺し网
サケのほほを使った料理はチーフだけが食べる。冬になると女たちは家のすみに浸し箱を出して、水を入れてバスケットに保存していたサケのほほを入れる。四日间浸して、妻は夫にチーフたちを呼ぶように言う。浸してあるサケのほほをケトルに入れて、水を加えて火にかける。皿にほほと汁の両方を入れて、スプーンと一绪にゲストに出す。
冬の間にこれらの人びとを招いて干したサケの頭を焼いて振舞うが、その際に「先祖の歌」と呼ばれる特別な歌を歌う。
またギンザケの生を料理するときには、チーフたちを招き、皆が到着した後に鍋に水を入れ、そこに妻がサケを入れてボイルする。サケが煮えた後、妻はその身を崩して皿に取り、スプーンとともにチーフたちへ振舞う。ほほ肉とは対照的に、保存してあるサケの頭は一般の人びと(common peoples)に振舞うとされ、冬の間にこれらの人びとを招いて干したサケの頭を焼いて振舞うが、その際に「先祖の歌」と呼ばれる特別な歌を歌う。
脂の乗ったサケを朝に食べると、眠たくなる。
レシピには一贯して特定のサケ料理を「どの季节に」また「一日のいつ」に食べるかという情报が含まれている。それらを総合すると、焼きサケなど脂の多いサケを材料とした料理は昼以降に食べることに対して、乾燥したサケを用いた料理は朝に食べる。その理由をハントは「脂の乗ったサケを朝に食べると、眠たくなる」と説明している。同様な理由でサケの卵を使った料理についても、レシピ4の最后に示されているように、朝には食べないことが重要とされている。この原则に沿って、サケ料理を分类してみると、脂分の少ないサケは乾燥保存に适していることから、これらのサケは多く朝食として食べられる。特に成熟して脂肪分の少ないグリーン?サーモンは乾燥保存に适し、これらを长期保存してサケ渔のない冬期の最适な朝食として食べられてきたことがわかる。
レシピ6 グリーン?サーモンは日々の朝食である。
鮭の刺し网渔で使う刺し网
グリーン?サーモン(成熟したシロザケ)はクワキウトル(现在のクワクワカワクの当时の民族名称)が川のそばに住んでサケを捕っている时代の日々の朝食である。妻がサケを小さく切り、ケトルに水を入れて火にかけ、煮立ってきたら半干しのグリーン?サーモンを入れ、それほど长くは煮ないで、取り出す。これを「ハーフドライのグリーン?サーモン」と呼ぶ。これらを皿に平らに并べて、オイルをかける。食べ方はサケの端を噛んでやわらかくなったらオイルにつけ、また口に入れて、繰り返して食べる。

グリーン?サーモンと同様に、朝に好んで食べられるものとしてサケの骨などが記述されている。一方、脂分の強いもので、昼から夜に好んで食べるサケ料理として焼きサケの他に、生のサケの頭やひれや尾が挙げられている。しかしこれらの部位が乾燥保存されている場合には、冬の期間まで長期保存され、サケの尾などはたくさんの客を招いて朝食として食べることもある。  
その年のサケ渔シーズンの初渔のサケは特别に扱われる。ハントは以下のように记述している。
レシピ7 乾燥保存されたサケの尾などはたくさんの客を招いて朝食として食べることもある。
ウワキウトウル族の贮蔵箱
妻が初渔のサケをボイルして、その后サケの身を崩し、さらにボイルする。身が十分に崩れたら、少し混ぜて、小皿に盛る。その后夫と子供たちを呼び、食卓に招く。皆が席についたら、各自にスプーンを渡す。家族は渡されたスプーンで最初に水を少し饮み、その后サケを食べ、その后再び水を饮む。その后皿に残ったサケを锅に戻し、锅ごと外へ持って行き、その中身を海に流すことにより、サケを海に返す。
最初に捕獲されたサケは概して上記の要領で特別に扱われる。
初渔のサケはその种类や捕获场所により多少ことなり、脂分の少ないサケの场合は锅にオイルを注いで食べるが、脂分の多いサケであれば、オイルを入れずに食べるなどの违いがあるが、渔期の最初に捕获されたサケは概して上记の要领で特别に扱われる。ハントは上记の料理の他にもベニザケやギンザケの料理、またサケの内臓も含むあらゆる部分の料理を记録し、当时の人びとが多种多様な方法でサケを味わったことを伝えている。
ウワキウトウル族の意匠、デザイン画
引用?参考文献
『「サケの民」カナダ北西海岸先住民族――サケの保存?调理?分配』岩崎?グッドマン?まさみ着(北海学园大学人文学部教授)基盘研究
(A)「先住民による海洋資源の流通と管理」(研究代表者 岸上伸啓編集 課題番号15251012)研究成果報告書 2007年発行
「北西海岸インディアンの美术と文化」顿?キュー 笔?贰?ゴッダード菊池彻夫?益子待也訳六兴出版 1990年7月発行
ページTOPへ