鮭なんでも辞典
ここでは、サケに関するよくある质问?疑问について、回答をしています。
サケにはどんな种类が、あるのですか?
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日本では一般的にサケといえばシロサケを指します。また学术的にサケといえばサケ属の鱼を指します。シロサケ、ベニザケ、ギンザケ、カラフトマス、サクラマス、マスノスケ、ニジマスの7种(サケ属)が代表的な种类です。
近年输入されているサルモ属のタイセイヨウサケもサケとしています。 サケとマスは、どう违うのですか?
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サケの仲间は、一生を淡水で生活するものと、一生のある时期、海水で生活をおくるものとに分类できます。英语では、淡水生活をおくるものをトラウト迟谤辞耻迟(日本语訳はマス)、海に降るものをサーモン蝉补濒尘辞苍(日本语訳はサケ)と呼び、サケの仲间を区别しています。日本语でも、サケ属の中で降海する种にはサケを、サケ科の中で淡水生活をおくる种にはマスと付けた名称が使われています。
しかし、日本では元来、サケ、マスの名称がきわめてあいまいに用いられており、现在でも、厳密に区别されているとは言い难い状况にあります。例えば、厳密性を追究して近年名称が変わった例としてはベニザケ、ギンザケ(かつてはそれぞれベニマス、ギンマスと呼称されていました)を挙げることができますし、厳密な区别に従っていない例としてはマスノスケ(英语ではキングサーモンと呼ばれています。降海型なので、本来であればサケの名称が付けられなければなりません)を挙げることができます。
英語でも、サケ、マスの区別のあいまいさは存在し、例えばヨーロッパでは、降海したブラウンマスをsea troutと呼んでいます。洋の東西を問わず、サケ、マスは厳密に区別されていないのが実情なのです。
ちなみに1988年からサケ属となったニジマスは、淡水生活をしているものはレインボー?トラウト、降海して海洋生活をしているものはスチールヘッド?トラウト、南米チリから输入されているニジマス(海面养殖)はサーモン?トラウトとかトラウト?サーモンと呼んでいます。これを訳してしまうと「サケマス」とか「マスサケ」ということになり混乱してしまいます。 私はサケの塩焼きが大好きです。どうしてサケがおいしいのか、教えてください。
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サケのおいしさの秘密は旨味としてのエキス成分が豊富だからです。秋サケの场合、产卵期が近づくとエキス成分が増加してきます。その成分はタウリン、アラニン、グルタミン酸などの游离アミノ酸と核酸成分のイノシン酸、それにエキス成分中80%と大部分を占めているアミノ酸のβ-アラニンとメチルヒスチジンが结合したアンセリンです。
秋サケの旨味はグルタミン酸とイノシン酸が相乗効果によって旨味の主役になり、そのほかの游离アミノ酸が脇役になっています。
カナダの狈?搁?ジョーンズ博士はアンセリンが食味の中でコクを与える役割があると述べていますので、食通のいう「秋サケのおいしさ」も、このアンセリンが旨味の主役と脇役を引き立てているからかもしれません。 サケが「秋味」と呼ばれるのはどうしてですか?
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海洋にでたサケが、秋になると生まれた川で产卵するために戻ってきますが、その川に入る直前に沿岸でとれたサケがいちばん美味といわれています。人々は心待ちにしていたサケの回帰を祝い、秋に戻ってくるおいしい味覚に感谢してサケを「秋味」(あきあじ)と呼んでいます。
サーモンピンクといわれるように、サケの肉はどうして赤いのですか?
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これは赤い色素(アスタキサンチン)が、サケの肉に含まれているからです。この色素は科学的にはニンジン、カボチャ、ミカンなどに含まれているベータカロテンと同じカロテノイド色素の一种で、エビ、カニの殻とサケマスの肉に多く含まれています。
アスタキサンチンは、いま强い抗酸化力(活性酸素を消去する力)をもつ成分として注目されています。
アスタキサンチンは、サーモンピンクの色素であり、イクラ?筋子の色素であり、エビ、カニの殻の色素でもあるのです。
※エビ、カニでは生の状态では殻が赤くないものがあります。それはアスタキサンチンとタンパク质が结合しているからで、茹でるとタンパク质が离れて、アスタキサンチンだけになってしまうので赤くなります。しかし、赤身の鱼と呼ばれているマグロやカツオの肉、また牛肉や豚肉も赤い肉ですが、この色素はミオグロビンでアスタキサンチンとは别のものです。 スジコとイクラはどう违うの?
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筋子(すじこ)はサケの卵巣をそのまま塩蔵したものです。腹を割いて卵巣をそのまま摘出しこれを塩渍けにします。イクラは成熟した卵巣をばらばらにほぐし、塩蔵したものです。ちなみにイクラはロシア语で「鱼卵」という意味です。
トキシラズ(トキザケ)ってどんなサケですか?
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トキシラズ(トキザケ)は、とてもおいしい若いサケです。夏に北海道沿岸に回游してきます。トキシラズ群あるいはナツザケ群ともいわれています。最初はおもに岩手県叁陆海岸に现れ、太平洋沿いに北上して、北海道沿岸には5~6月ごろ到达します。このころ捕获されたものが一般的に「トキシラズ」とかトキザケ」と呼ばれ美味のため珍重されます。
この群れの大部分はエトロフ海峡を回游してオホーツク沿岸の川、アムール川に上ります。また、一部はさらに千岛列岛に沿って东进し北千岛、カムチャッカ西海岸の川に上ります。このトキシラズは日本では产卵しません。 サケは何を食べているのですか?
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シロサケの例でご説明します。
(1)仔鱼期(卵膜から外界へ始めて出てくる时期から、自分で饵をとるようになるまで)
サケは卵からかえった直后は「仔鱼」と呼ばれ、浮上するまでは卵黄がエネルギー源のすべてです。
(2)稚鱼期(自分で饵をとる时期から、降海行动を起こすようになるまで)
浮上したら流下する水生昆虫などの动物を贪欲に食べ始めます。しかし、饵をとるのがまだ下手で、この时期は母からもらった卵黄をエネルギー源のひとつにしています。だんだん大きくなって活発に降海をはじめる顷になると、俊敏に饵を捕获するようになります。
(3)幼鱼期(海洋の沿岸域を生活の场とする)
海岸の塩分浓度が低い河口域にいるときは、沿岸性动物プランクトンを食べ、だんだん游泳机能が発育してくると、大型の动物プランクトンや小鱼などを広域にさがして摂るようになります。成长しほぼ成鱼とかわらないほど骨格ができてくると、饵を追って冲のほうにでてゆくようになり、次第に日本の沿岸から冲合いへ移动していきます。
(4)成鱼期(海洋を生活の场とする)
日本を离れたシロサケは、オホーツク海やベーリング海やアラスカ湾などを回游し、生活领域を広げます。
サケの饵になるものは、コペポーダ(カラヌスやケンミジンコの仲间)、オキアミ类、エビの仲间、クリオネの仲间、クラゲ类、ゴカイの仲间、小型の鱼、イカ类など多种多様です。 川から海に出たサケは、どこへ行くのですか?
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日本で生まれたシロサケは、まずオホーツク海へと回游します。
オホーツク海には、秋まで滞在しそのあと、北太平洋西部へ回游し、そこで最初の冬をこします。
翌年の春になると、サケたちはベーリング海に回游し、「兄贵分」たち(日本系シロサケの成鱼、未成鱼)と合流して、秋まで过ごします。
ベーリング海は、日本からのシロサケが好んで过ごす海域で、ここで回游しながら饵をとり、大きく成长していくのです。
その后は、ベーリング海とアラスカ湾を行き来し、3~4歳くらいまで过ごします。この顷はもう成熟鱼になります。そして3~4歳の夏を迎える顷、ベーリング海から千岛列岛沿いに南下して、9~12月顷、日本沿岸にある、それぞれの母川に回帰していきます。 サケはどうして生まれた川にまた、もどれるの?
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サケの子が日本の沿岸から外洋を泳ぎ、オホーツク海、ベーリング海、アラスカ湾を経て、また日本の生まれた川に戻ってくる回游については次のような説があります。
(1)太阳コンパスや偏光を利用して移动する。
(2)海流にのって移动する。または海流に逆らって移动する。
(3)均一条件をもつ水块にのって移动する。
(4)适水温と饵を求めて移动する。
(5)磁気を感知して移动する。
いろいろ説はあるのですが、决定的な定説はありません。
しかし、沿岸域に达したサケが母川を探せるのは、おそらく子どもの顷の川の匂いを覚えていて、それを思い出すためであろうということが、いままでの嗅覚遮断実験やそのほかの実験によってわかってきました。 シャケとサケはどちらが正しいですか?
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正式和名は「サケ」です。広辞苑では「シャケ」はサケの転、とありました。日本の方言を调べましたところ以下の结果(サケの方言を见る)が得られました。おおむね「シャケ」と言っている地方は、本州では北は茨城県、新潟県から西は広岛県まで、ばらばらと分散しています。九州では福冈県、长崎県で使われています。しかし、厳密にエリアを限定することはできません。北海道や东北でも「シャケ」といっている人はいますし、全国的に使用されているようです。
アトランティックキングというサケはどういう鱼ですか?
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「アトランティックキング」という名称は、商品名だと思います。札幌市豊平川さけ科学馆のホームページ「サケの种类と商品名」の中にアトランティックキングサーモンという记载があります。
この資料は、文献や専門家からの聞き取りをもとに、1994-1998年の間に札幌で実際に 販売されていた商品の実見をもとに作成されたということです。いまでもこの商品が札幌地域で販売されているかはっきりわかりませんが、見かけたという方もいらっしゃいます。
私たちの判断としては、ご质问の「アトランティックキング」は鱼の种类、名称ではなく、たぶん「アトランティックサーモン」を加工した商品名ではないか、と推测しています。 サケの仲间はどのように分类されているのですか?
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サケ科の鱼たちは、イワナ属、サルモ属(タイセイヨウサケ属)、イトウ属、サケ属、など11属、约66种に分类されています。始め生物の分类は、形の违いで分けられてきました。古典的な形态分类といわれる方法です。
しかし、1970年ごろから種の進化を考え、種の系統の枝分かれを示す「系統分岐」の推定が盛んになったり、生体の遺伝的特徴から種間や、亜種間、個体群間の近さ、遠さを解析するようになりました。また最近では遺伝子中のDNAの物質を調べて系統図をつくっています。ここでは最新のものとされる村田氏らによる分類をご紹介します。(Murata et al 1996)
ひとつの川に遡上してくるサケはだいたい何尾くらいですか?また、その数は长い目で见たときバランスはとれているのでしょうか?
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去年2004年の调査によりますと、北海道の石狩川水系(支流もすべて含みます)のシロサケの捕获数は约51万尾、标津川水系で约19万尾、釧路川水系で约34万尾、十胜川水系で约36万尾という数値が示されています。(さけ?ます资源管理センター调べ)
これらはおよそ4年前にふ化放流を行った结果帰ってくる数量です(厳密には捕获数です)。ですから、极端な例を挙げると、小さな河川でも大きな孵化场からたくさんの稚鱼を放流すると、河川の规模と関係なく、遡上する数は多くなります。
放流をしていない自然产卵だけの川の遡上数については、ほとんど数字がありません。ただ、过去の资料の中には、ふ化放流のおこなわれていなかった18世纪中期の石狩川の渔获数の推定値として、222万尾という记録があるそうです。
ちなみに、长年のふ化放流事业により、日本ではサケの回帰率は最近では全国平均で约4%、北海道では约6%になっています。つまり100尾の稚鱼を放流すると约4~6尾のサケが戻ってくるという割合です。これは、1匹のサケの产卵数が约3000~3500个でそのうち成鱼となって戻ってくる数が2~3匹であることと比较し、とても多いものです。
现在、日本の孵化事业は计画的に行なわれバランスがとれていると考えられます。しかし多くのサケが戻ってくるようになった今、戻るサケが小型化していること、成长时の生活拠点である外洋のエサの资源问题なども指摘されるようになってきました。长い目で见た时、日本の稚鱼放流のあり方を考え直す时期であるのかもしれません。 ベニマスとヒメマスってどんな鱼でしょうか?
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ベニマスはベニザケの旧名です。昔、ベニザケはベニマスと呼ばれていましたので、今でもベニザケをベニマスという人はいます。
ヒメマスはベニザケの陆封型です。海には行かず、一生、川で过ごすタイプです。ヒメマスはいま、全国各地で养殖が行われています。贩売业者が养殖のヒメマスを「ベニマス」という商品名で売り出すこともありますので、消费者にとっては纷らわしいことになることもあります。
ヒメマスはかつて、北海道の阿寒湖とチミケップ湖にしか生存していなかった鱼种でしたが、1894年(明治27)北海道の支笏湖に移植してから繁殖に成功し、全国の养殖场に広がりました。(洞爷湖、屈斜路湖、十和田湖、大岛池、檜原湖、秋元湖、沼沢沼、中禅寺湖、青木湖、本栖湖、西湖、芦ノ湖など各地60余りの湖に放流)
1967年頃から試験的に支笏湖産ヒメマスのうち千歳川に降りる魚を捕らえて、太平洋へ流入する河川に放流すると、1~3年後にはベニザケとして産卵回帰することは確かめられて、 一部の河川ではヒメマスの放流を行っています。
ヒメマスはアイヌ语で「カバチェッポ」、「カバチェップ」(平たい鱼の意味)と言われてきました。それが今では「チップ」と呼ばれています。支笏湖ではチップ钓りと言っています。
ベニザケ(降海型)
ヒメマス(陆封型)
成熟したヒメマス【オス】(陆封型?养殖个体)
成熟したヒメマス【メス】(陆封型?养殖个体)
写真提供:市村政树?标津サーモン科学馆学芸员 本州の日本海侧の河川に回帰してくるサケは、どんなルートをたどって日本海侧の河川に戻ってくるのでしょうか?
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日本を故郷とするシロサケは约4年目の产卵の年に、アリューシャン列岛から日本の河川めがけて帰ってきます。(左図:サケの回游路図参照)本州の日本海侧の河川を目指すものは、ほとんどが北海道のオホーツク海沿岸に沿って、宗谷海峡を回り北海道の日本海侧を南下するコースを取ります。
山形県の月光川(がっこうがわ)や新潟県の三面川(みおもてがわ)に遡上するシロサケなどがこのコースで回帰しています。 本州の太平洋側の河川に回帰するサケは、ほとんどが根室から襟裳岬沖を回り、津軽半島の東側から三陸海岸にそって南下します。
ただ、これらの中には、襟裳岬冲から津軽海峡を渡り、日本海侧に出て、本州の日本海侧を南下するシロサケも若干あります。
サケの回游図?引用文献
「北海道のサケ」北海道开発文库第3巻 秋庭鉄之着(社)北海道开発问题研究调査会発行 昭和55年5月15日発行 日本には「サケの音楽」が多くあるというのは本当ですか?
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本当です。日本音楽着作権协会のリストの中から、题名で「サケの音楽」とわかるものだけで60曲ちかくあります。器楽曲や合唱曲などあまり日常的でない曲なので、一般には耳惯れないものが多いのですが、「サケの音楽」がこんなにある国は世界中にないのではないでしょうか。
千歳サケのふるさと馆でかつて馆长をされていた木村义一さんのお话によると、ノルウェーに「鱼捕りの歌」があるようですが、外国に「鱼の歌」があるとは闻いたことがなく、唯一、シューベルトの「マス」くらいだろう、ということでした。
「サケの音楽」が多く生まれた背景として、生活の紧密度が高いということなら、マグロやブリ、タイの音楽がたくさんあってもよいのですが、少ないのです。(ちなみに日本音楽着作権协会のリストの中から、マグロの楽曲は16曲、ブリは11曲、タイは37曲。ただ、鲤の楽曲は137曲と多いのです)
渔労民族といわれた日本人にとって「サケ」や「コイ」は、粮(かて)を超えて、なにか特别な思いがあるのかもしれません。
母船回帰のサケは、においで自分の川を知るといわれますが、川のにおいって何でしょうか?
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川のにおいというのは、実は十数种类ものアミノ酸の组成によって决まっているということを、北海道大学の上田先生らの実験によって确かめられました。
川ごとに含まれるアミノ酸の组成は実は异なっていますが、川のアミノ酸组成を人工的に再现した人工河川水と、もともとの天然の河川水を使った実験によって、人工河川水も生まれた川の水のにおいだと认识することが确认されたのです。
北海道大学北方生物圏フィールド科学センター编「フィールド科学への招待」より サケは生まれた川をにおいで知るのですが、そのにおいはいつ记忆するのでしょうか?
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サケは成长とともに海に下れるような银色の体に変化します。この现象を「银化ぎんか」と呼び、银化したサケは「スモルト」と呼ばれます。このころから、川の水のにおいを覚えはじめ、川から海に到达するあいだにしっかりと川のにおいを忆えるのだそうです。
北海道大学の上田先生らが研究発见しました。
専门用语で、これを「母川记铭(ぼせんきめい)」と呼びます。鸟のひなが生まれて始めて见る动くものを母亲だと记忆する「すりこみ」と呼ばれる现象と同じように、サケの稚鱼は一度だけ川のにおいを忆えるのです。
その时期が生まれたばかりの稚鱼の段阶ではなく、ある程度育って降海する直前に忆えるのだそうです。
だから、ふ化场の水のにおいで生まれ育った稚鱼でも、まだ母川记铭を行える状态に成长していないため、川に放流された后に、その川のにおいを故郷の川のにおいとして记忆学习するのだそうです。
北海道大学北方生物圏フィールド科学センター编「フィールド科学への招待」より サケの年齢はどうすればわかりますか?
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サケの年齢はウロコを见ればわかります。サケのウロコは木の年轮のようになっていて、冬を越すと年轮の线が狭くなります。(木の年轮と违うところは、ウロコの线は1年に何本もできるところです)
それでも年轮の线が狭くなった、その数を调べれば、何回冬を越したかがわかります。3本の狭いラインがあれば、満3才ですし、4本の狭いラインがあれば、満4才です。 若い女性や子供たちに特に.人気のサーモン寿司。
そのおいしさの秘密はなんでしょうか?-
近年、回転ずし店や寿司チェーン店などで、マグロとならぶ人気のサーモン寿司。これらのサケは、ほとんどがノルウェーやチリからの输入サーモンです。
鲜やかなサーモンピンクの色と、とろけるような食感。この输入サーモンは、日本人に好まれる刺身やすしなどにおいしく食べられるようにと研究されました。
サーモン养殖时のえさの质や量の管理、水温管理、サーモンの健康管理などを彻底させ、水扬げから出荷までの取り扱い管理や鲜度を保つ输送方法を开発して、输入サーモンは日本市场に送られてきます。
特に「とろサーモン」と呼ばれる、脂肪がきめ细かく入った腹侧の身の寿司は、マグロのトロのような食感があり、とても人気で、ノルウェーからの大ヒット商品になっています。日本にサーモンを输出する人々は、サーモンの品质向上のために日々努力し、まさに国をあげての生产体制、管理体制を整えています。 北海道や东日本で毎年、「鮭祭り」が行われるのはなぜですか?
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现代では観光事业やイベントとして町の活性化のために开催されることが多いのですが、昔はそうではありません。日本列岛に村や集落ができはじめた古代から、北の地方では、毎年、必ず秋になると大量の鮭が川を遡って来ることで、村民は冬を越す食料を手にすることができました。鮭の来る地方では、この豊穣に感谢して、「鮭祭り」を行い、その川を「鮭川」と称して大切にしてきました。
北海道のアイヌの人たちは、鮭を「神の鱼」、「神の使い」として崇め感谢し「祭り」を行い、鮭に礼を尽くし、节度を持って捕获保存しました。そして村人全员で行うこの鮭を捕获する作业や仪式によって村の绊を深めてきました。
今年も各地で「鮭祭り」が行われますが、一度、古代の人々の鮭への感谢の念を思い起こしてみてはいかがでしょうか。
ここで2012年に开催された主だった鮭祭りを列记しておきます。