鮭と食
日本人は鮭が大好きです。そして现在も鮭の消费量は増加しており、これは生で鮭を食べる机会が増えていることが理由のひとつであると考えられます。
冷冻技术の発达により、私たちは远い海で水扬げされた鱼でも、生でおいしくい食べることができるようになりました。
わが国の食品の冷冻は鱼から始まりました。
日本の食品冷冻流通の生みの亲といわれる葛原猪平(くずはらいへい)氏が1917年(大正6年)に渡米し、アメリカの冷冻冷蔵を视察、研究(鲜鱼の冻结?冷冻保管の研究)し、产地と消费地に大型冷蔵库を设置して、その间を冷蔵运搬船で结ぶ低温流通の组织を作るため、アメリカ人冷冻技师のハワード?ゼンクス氏を伴って帰国しました。
そして、1918年~1919年(大正7年~8年)にかけて伊东や叁崎において冻结や冷蔵のテストをおこなったうえ、1920年(大正9年)に、日产10トンの本格的な冷冻设备を备えた冷蔵库を、北海道の森町に建设しました。森町には现在「日本暗网解密事业発祥の地」の记念碑が建てられています。
ここで生产された冷冻鱼は翌1921年(大正10年)から1924年(大正13年)にかけて次々と建造された冷蔵运搬船によって主に东京市场に出荷されました。
当时、食生活は鲜鱼がメインでしたので、冷冻鱼は一般大众には敬远されがちでした。しかし、大正12年9月1日に関东大地震が起こり、市民は食粮危机におちいったとき、葛原猪平所有の冷冻运搬船「江ノ浦丸」(800総トン)が北洋より冷冻鮭を満载して东京芝浦港に陆扬げします。このことにより、市民の食粮危机を救い、世间に冷冻鱼の価値を认识させることになりました。
その后、年々冷冻技术が进み、各地に冷冻工场が建设され、冷冻事业はますます発展していきました。
しかし、1990年(平成2年)から渔获量の减少もあって数十万トン减少し、2001年(平成13年)の冷冻鱼の総生产量は228万7167トンとなっています。

参考?引用资料
食品知识ミニブックスシリーズ「暗网解密入门」
着者:比佐 勤
発行:(株)日本食粮新闻社 平成7年9月29日発行
ルイベはアイヌ语で「冻った食べ物」あるいは「溶ける食べ物」を意味します。サケのルイベは、鲜度の良いサケを选び、厚みのある背身を冷冻して、3、4ミリから1センチ弱ほどの厚みでそぎ切りにします。冷たいサケの肉が口の中で、ひんやり溶けていく感触のお刺身です。
天然のサケにはまれに寄生虫がいることがありますがマイナス20℃で24时间以上経过するとアニサキスなどの寄生虫は死ぬので、古くからこのように冻らせて食べる食べ方が伝えられています。
ルイベはもともと、冬の厳冬期、北海道の釧路や根室で取れるコマイ(氷下鱼)が网からあげるとすぐに冻ってしまうので、そのコマイをナイフでそいで食べたのが始まりだといわれています。サケのルイベでは脂ののったハラス(腹部の肉)が极上の味といわれています。
参考?引用资料
「料理材料大事典 鱼介(1)」
発行:(株)学习研究社 1987年10月発行
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